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執着気質について 病前性格 協調性 新型うつ病

執着気質についてお勉強

執着気質は、メランコリータイプと少し違うとも言われていて、
しかしどんなのものなのか、確認しようにも、顕微鏡のように標本があるわけでもなく、
表現の仕方も違い、なかなか難しい面もある。
文献学になってしまってはつまらない。
要するにうつ病の病前性格なのだといわれても、
うつ病とは何かが確定できていないし、何種類のものを考えればいいのかも、定かではない。

ある文章の中から抽出すると、メランコリータイプは
几帳面・他者への配慮・責任感・完璧主義といった言葉で代表される、いわゆる生真面目なタイプ。この種の人はその理想秩序の枠内で物事が運ばれるうちはいいが、調子が維持できなくなると自分を責めて落ち込んでいくといわれている。
というが、どんな構造をしていて、執着気質とどう違うか、違わないか。
このいい加減な描写をどのようにして検証できるのか。
文学としてだめなだけではなく精神医学としてだめだということをどのようにして立証できるか。

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例えば、執着気質は、
一度生じた感情が長く持続し増強することが基本特徴である。責任感が強い、仕事熱心、徹底的、熱中する、几帳面、正直、凝り性である、周囲からは模範的な人、確実な人とみられる、評価は高いことが多い。
などと説明される。

メランコリータイプとかメランコリー親和型については、
Typus melancholicsで、ドイツのテレンバッハが言ったもの。
うつ病者が発病前から示す性格特徴で、秩序を愛する常識人、仕事は堅実、対他配慮に富み、義理堅く、人と争わず、人の思惑を気にし、人に頼まれると断れない弱気な面がある。

これは翻訳で短縮してあるから、正確とはいいがたい。
また、メランコリータイプとうつ病の関係はどういう関係なのか、
病前性格というべきものなのかなど議論がある。

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著作をしている諸家によっても
見解は違うのだろうが
日本での主流は笠原先生だと思うし、
新しいところでは原田先生などだと思うので、
とりあえず笠原・原田のあたりを調べてみる。
もともとは下田先生が言ったことなのだが、
たぶん、諸家によって、重点の置き方が少しだけ違うかも知れない。
それは科学としてはどうかと思うのだが、現状では仕方がない。
しかしそれで充分に役に立つのでいいと思う。

すると、次のようである。
執着気質は、
気分が持続しがち、特に陰性の気分が持続しがち、
気分転換が苦手、さらに、三つの特徴があげられ、
1.協調性、2.強迫性、3.精力性である。

1.協調性
対他配慮である。人と人との和を重んじる。配慮、気配りができる。思いやりがある。自己主張を控えがちである。頼まれると断れない。必要な自己主張も控える。(結果として、)対人葛藤が尾を引く(それはまた気分の持続性のゆえでもある)。配慮不足の他人の言動に強く反応し、傷つくことがある。

2.強迫性
責任感が強い、几帳面、仕事をきちんとしたい、手抜きをしない、中途半端にしない、いつも全力投球、メリハリをつけられない、いっそやらないほうがましと思う、極端、「ちょっとだけやる」ができない、人に任せられない、自他のミスにこだわり引きずる。ミスを流せない。

3.精力性
頑張り屋、凝り性、熱中しやすい、心身の疲労を無視して頑張る、無理をしてダウンする、こころが脳と体に無理をかけてしまう。

といった具合である。結局、0.気分の持続と合わせて、四点セットだ。

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文章から分かるように、陰性気分の持続が発展すれば、うつ病になるだろう、
強迫性成分が発展すれば強迫性障害になるだろう、
精力性が発展すれば躁病になるだろう。

MAD理論だと、
陰性気分の持続……D成分、
強迫性……A成分、
精力性……M成分
でぴったり。

ティープス・メランコリクスは
執着気質から精力性つまりM成分が欠落したもの。

循環気質は、執着気質の精力性M成分が大幅に増大したもの。

と分類することができ、
ティープス・メランコリクス→執着気質→循環気質
と精力性を横軸にして並べて、連続スペクトラムを形成することができる。
病気で言えば、
気分変調症(ディスチミア Dysthymia)→単極性のうつ病→双極Ⅱ型→双極Ⅰ型などと並べることができる。

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しかし、協調性・対他配慮の説明ができない。
協調性が発展すれば何病になるのかなと考えて、何病にもなりそうではない。

だから、smapg-MAD-theoryでは、対他配慮ははずす。
これは笠原説を真っ向から踏みにじるもので、まことに対他配慮に欠けるのだが、
神経回路の発想でいえば、協調性・対他配慮の実質が何であるか、分からない。

場の雰囲気を読むといったことがあげられるのだが、場を持たせるにも、強調するにも、
民族の特性というものもある。
例えば、日本の古い世代では、偉い人が今日は和食がいいと言っていて、
みんながそうしようといっているときに、一人だけ、フレンチが特別ディナーだと言い張ることは、
協調性がないとみなされるかもしれない。
しかし例えば、アメリカの一部の人たちを例にとれば、
和食でもいいと思うのは、それは事実を知らないからみんなそう思っているだけで、
「今日はフレンチが特別ディナーだ」と知ったなら、たぶんみんな賛成するし、
知ったことを感謝するだろうという場合、勇気を持ってみんなに言う、
それがいいことなのだと思うかもしれない。
それもある種の協調性だし対他配慮だと言われれば、そうかもしれないと思える。

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大勢順応と言ってしまえば、別の側面になるのかも知れない。

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集団の原理と神-個人の原理との対立で考えるのもいいと思う。
この対比で言えば、
チクロチームとシゾチームということになる。

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例えば、協調性は、生物学的に解釈して、優位・劣位のヒエラルキーを守る心性、とすることもできるだろう。しかしそこまで言ってしまえば、それを守らないならば、生きていくのはほとんど難しいかも知れず、一匹狼という類型はあるとしても、集団のほぼ全員が優位・劣位のヒエラルキーを守る心性をもつメンバーなのだと思う。
一匹狼も、順位性を守るから、群れからはぐれているのだ。群れの内部に残る限り、順位を守ることに異存はないのだろう。

協調性が強いか弱いかは、たぶん、新奇性の追求とか、攻撃性の高さとか、そんな要素的なものに還元されそうな気がする。そして、それは、脳の限局された部分の障害で起きそうな気がする。
躁うつとは次元が違うような気がする。

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生物は本来順位的な存在なのであり、集団を維持するにはその方がいい。
順位制は、性活動や攻撃性と結びつき、ひとまとまりの報酬系を形成する。

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協調性は集団性と言ってもいい。

後進国ドイツが富国強兵をした時代があった。
軍隊で、この間まで調子よく、将来を期待された人が、
突然不調になった。それをドイツ語でDepressionと呼んで、
分析した。

おおむね30歳過ぎ、組織に従順な、中間管理職。上には忠実、部下には厳格でかつ親切丁寧。頑張り屋で几帳面、責任感が強い。自己主張よりも思いやり。利己主義よりも利他主義。根は暗くて、気分転換が苦手。人を笑わせるよりは、まじめ主義。秩序を愛する。手抜きはできず信仰は篤い。プロテスタント。

ドイツ医学に学んだ後進国日本では、やはり富国強兵、そのあと敗戦を経て、サラリーマン戦士。
こちらはうつ病と呼んで、ドイツ医学と同じ類型を軍隊と会社に見出す。戦前は皇国史観で、戦後はアメリカ民主主義、その後、変質した日本的民主主義。

アメリカは後進国だったことがないから、depressionという言葉は使うが、
ドイツ語とも違い、日本のうつ病とも違う。
depressiveな人が、その事で損をしようと得をしようと個人の自由の範囲内だ。
組織がそのような人をどこまで抱えるかも、組織の利害計算による。
国策で何かを命令されることもない。宗教的背景はおおむねキリスト教各派。新宗派たくさんあり。

アメリカの軍隊の精神的病気は薬物とPTSD。

フランスはピネル、エスキロール、などで、melancholieは、délire partie 部分精神病で、妄想性疾患も含む。や、快活なメランコリー、陽気なメランコリー、リペマニー、モノマニーなどの用語が飛び交う。ドイツとだいぶ違う。こちらは途中から先進国だった。ピネルは精神病者の解放者。解放病棟を始めた。人道的精神医学の創設者という。分類が違えば病気も違うように見える。精神病は社会、ときに精神風土や宗教との関係もあり、病気自体が分化と関係なく存在するものでもない。

ブログだから寄り道するが、椅子の本質と日本語で論じる場合、椅子とは、チェアもスツールも、ソファも含むものだ。床の本質という場合、「とこ」も「ゆか」もおなじという日本語の特性がよく顕れていて、西洋はゆかととこは当然違うものだ。青い森といったりするので、緑なのか青なのかと、アメリカ人に聞かれる。そういう習慣なのだから仕方がない。信号は赤青黄色である。紅白が対立するものと思われているのも日本式だ。
そんなわけで、日本でいううつ病とアメリカのdepressionと、フランスのmelancholieは、翻訳可能なものではなくて、翻訳不可能な何かなのだ。もちろん、関係はあるが、椅子とチェアのような関係だ。さすものが違う。

後進国ドイツではキリスト教教会が精神の支えとなり、
後進国日本では国家神道が支えとなり、
戦後は多くは会社が宗教共同体そのものとなった。

このあたりの事情を説明するキーワードは、
協調性、対他配慮だろう。軍隊も会社も、命令に従い、命令を待つ社会である。それは後進国である事を明示する。最近は、命令を待たずに自主的に動く人間が求められるなどと人事はいう。

多く共産党社会は、未来型社会ではなく、追いつけ追い越せ型社会である。理念とは裏腹に、組織の運動は、思いっきり世俗的で、それはあたかも、キリスト教で、神を脇において、教会という世俗の集団があくまでも世俗的に振舞うのと同じである。信じるのは聖書のみと誓いながら、集団と妥協してしまう。

そのような中で、ドイツ、日本型うつは発生する。
つまり、MAD+対他配慮である。対他配慮のないものは、すでに別の道を用意されているのだ。そして対他配慮を当然の基盤として、その舞台の上で、MADが理論どおりに、M成分が大きくなり、疲弊し、一時停止し、ときにADときにaDとなり、強迫性やうつ状態を呈する。そしてMは回復し、すっかりもとの戦線に戻ってゆく。

現代では、対他配慮の教育習慣がなく、宗教がなく、会社への忠誠心がない。宗教も会社も価値の源泉ではない。その場合に、全面的な献身をするはずはない。部分的かかわりは部分的対他配慮であり、つまりは利己主義である。

したがって、利己主義しかも宗教なしの舞台の上での、MADなのである。
これはアメリカ的でもないし、他のどことも似ていない、むしろ会社が宗教だったのだが、その会社がおtimeになり、会社の価値を宗教的次元で、一身を賭するものとして、信じるものはいなくなった。

宗教なしの利己主義の舞台、そしてその上で踊られるMADのダンスが、現代型うつ病のいくつかの型である。



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