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執着性格の歴史的意義

執着性格を背景とするうつ病は、
後進国が先進国を追いかけるときに、軍隊や会社で見られる病理。
M成分はおおむね、多い。頑張りや。M成分は多すぎれば周囲も本人も持て余す。しかし適度であれば、社会適応を改善する。
A成分は多い、几帳面、秩序を愛す、守り対し守らせたい、A成分は必須と考えられる。
D要因は多い、MやA成分と拮抗するくらい強い。これが基底の性格である。だから最後にはうつ病になる。

以上のMADの動きのすべての背景には協調性・対他配慮性がある。
それか欠けている場合、
軍隊にも会社にも適さない。

うつ病ではなく現実に不適応になり、適応障害と診断することができるだろう。

当人たちは、追いつき追い越す事を本当に望んでいる。

最近のプロ野球インタビューで、チームの勝利が一番ですというのは、自己犠牲であり、利己主義よりも利他主義を優先させている発言であるが、利己的にインタビューを受けて話しているので、まったくうそ臭い。内容は利他主義で態度行動は利己主義。模範的で利他的な言葉が用意されているけれど、態度は実に利己的である。

昔型の鬱の心性としては、円谷幸吉の遺書が有名である。うつ病的心性が溢れている。

現代日本でのうつ病はどうだろう。宗教は仏教葬式だけしか機能せず、利己主義しか信じることのできない人間が、Mの過剰を経過して、最後にはDの過剰だけが残ったとき、どのような態度を示すものか。そして、Mが徹底的に破壊されたあとならば、ADで構成されるのだろうが、Mは生き残る場合があり、その場合、躁うつ混合状態として現れる。
対他配慮はなく利己的であるから、当然に他罰的である。

抑うつや制止よりも恐怖証的心性といわれる。厳密な意味でうつ病や恐怖症パニックなど不安症の心性は過去に属し、一方で、会社の恐怖症は未来に属する。彼を苦しめるのは、過去のー面ではなく、未来の一場面である。過去の確定した一場面が彼を反復して苦しめるのではなく、
未来の未確定な一場面が彼を苦しめている。
それもD細胞群のしわざではなく、M細胞群のしわざであり、マニー成分のなせる業である。

電車や狭いところが苦手ですという言い方と、会社の玄関まで行くと動機がするという言う方は、違う気がする。
前者は誤った強い学習であるということができる。
後者は疾病利得を伴った神経症レベルの防衛機制である。

*****
ドイツ精神医学だけが、執着性格、ティープス・メランコリクス、循環気質などというし、うつ病、躁病という言葉で意味しているものも独特のようだ。そしてそれを輸入した日本でも独特であった。国家モデルとして、発展過程の似たドイツを選択したことは能率のよかったことなのだろう。追いつき追い越せは、実現できた。シカシ、ドイツの軍隊と同じことが日本の軍隊と戦後の日本の会社で起こり、ドイツ精神医学の病前性格と疾病類型で解釈できた。
このような特殊な理論が当てはまる場面は限られているはずなのだが、その特殊な場面が。ドイツ、日本と続いたということになる。
歴史的に回顧すれば、ただそれだけのことであろう。
今後各国で繰り返すかどうか疑問である。

なにより、基盤としての、「協調性・対他配慮性」をその国の軍隊なり、会社なり、組織が要求するかという問題がある。
国民軍の思想は薄れ、多国籍軍になり、傭兵もいて、通信技術も発達し、特に気配り型の人間でなくてもいいようになっているのではないか。
その場合のうつ病は従来とは違い、協調性・対他配慮の替わりに利己的合理的で形だけの協調性を示すものが増えるだろう。
その上で、MADの病理が進行する。

症状もそれに応じて変化する。



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